かつて、「小よく大を制す」で、レースの世界で、強豪を相手に目覚ましい活躍をしたレース屋は、
今日、ハイクオリティコンパクトにその生粋のスポーツマインドを宿している。
それが、MINIのスポーティバージョンとして存在する「JCW(ジョンクーパーワークス)」だ。
文●沢村慎太朗
- 1946
- ジョン・クーパーが、父親のチャールズ・クーパーと共にクーパー・カー・カンパニー社を設立する。フォーミュラ3レース用のレーシングカー制作に着手し、最初のモデル「クーパー500」は、瞬く間にサーキットで頭角を現す。これを足がかりに、二人はフォーミュラ1マシンの製作に乗り出すした。
- 1955
- 革新的なミッドシップ・エンジン・コンセプトを開発し、モータースポーツに新しいスタンダードを確立する。
- 1961
- BMCのデザイナーであるアレック・イシゴニスとの親交を深める過程で、ジョン・クーパーはミニに秘められたモータースポーツのポテンシャルに注目し、1961年にミニ クーパーの開発に着手。
- 1962
- ブリティッシュ・サルーン・カー選手権で勝利を飾ることとなる。
- 1964
- モンテカルロラリー優勝。パワーアップしたエンジン、強力なブレーキ、ワイド・ホイールを装備したミニ クーパーSは、1964年から1967年にかけて、ラリーの舞台で一大旋風を巻き起こす。ブリティッシュ・サルーン・カー選手権を4度戦い、3度の優勝を果たす。ポルシェとの接戦を制した1967年のモンテカルロラリーは現在も語り継がれる。
- 2005
- 2005年にはジョンクーパーワークス GPキットを装備した限定仕様のMINIクーパーSをMINIユナイテッド・フェスティバルで公開。「歴代最速のオンロードMINI」として好評を博す。
- 2007
- 2007年、ジョンクーパーワークスはMINIの傘下に入り、その後3つのジョンクーパーワークスモデルを発表する。MINIジョンクーパーワークス、MINIジョンクーパーワークス クラブマン、MINIジョンクーパーワークス コンバーチブルである。
- 2012
- モンテカルロラリーで2位に入る。この年をもってワークスでのWRC参戦を終了する。
JCWの名に込められた
誇り高きスピリット
20年ほど前のこと、ちょっと訳知りの若い娘たちのあいだでミニが注目された。もちろんオリジナルミニである。50年代生まれのその英国製小型車は、40年間という長きに渡る改良によって、さほど維持に苦労はしなくなっていたしATも完備していたから、「可愛い!」のひと言で、たとえば成人式の晴れ着の代わりに両親におねだりしたりして、彼女たちは手に入れたものだった。
そして、そういう娘たちは必ずミニでなくミニ・クーパーと呼んだ。彼女たちが好む姿が1.0の基準モデルではなく、派手に装った1.3のクーパー仕様だったというのもあるし、単に語呂がいいからついでにクーパーまで一緒に発音したのかもしれない。それに対して余計なウンチクを垂れて嫌われるのがエンスー親父という構図が繰り広げられた。
BMWが開発したニューMINIが21世紀とともに登場して、はや3世代目を数える今、若い入門者たちはオリジナルと区別するにはニューMINIと呼ぶしかなく、そうなるとクーパーを末尾に入れたほうが語呂が悪い。何よりも最高性能版のネーミングがJCWというのが不安だ。Cがクーパーであることはすぐ分るだろうが、Jがジョンである意味は理解されているのだろうか。そしてWが示すワークスの意味は……。ミニという名の小型車を50年も見てきた年寄りは、ここでやはりウンチクを垂れる決意を固めるのだ。
クーパーはミニをチューニングした男の姓である。クーパーの手でアシを硬めてエンジン出力を向上させたミニは、素養として持っていた機動性にさらに磨きが掛って、モンテカルロをはじめとした有名ラリーで大活躍した。ルーフに背負ったキャリアはラリーでスペアを積むためのものであり、フロントに増設された丸目のライトは荒地で前方を照らすため。闘いのなかで必要なこうしたデバイスが、素晴らしいアイキャッチになったところもミニの奇跡のひとつであり、後にはお約束のドレスアップアイテムとなってニューMINIにもそれは引き継がれている。
じつは、そうした競技用のミニ・クーパーは製造元のBMC社が公認したものだった。当時、ミニを改造する工房はかなりの数があったのに、なぜクーパーだけが公認されたのか。
それはクーパーが一介のチューナーなどでなく、すでに世界に名が知られたビッグネームだったからだ。
時は第二次大戦がやっと終ったばかりの46年。イギリスで飛行機や船の大型エンジンを作るメーカーを経て、レーシングカーのエンジンチューナーとして自分の工房を開いていたチャールズ・クーパーという技術者が、息子ジョンとともに、手作りで一人乗りレーシングカーを作った。単座レーサーといえばフォーミュラマシンを想像するかもしれないが、その車体は鉄パイプを組んだ簡素なもの。エンジンもまた簡素で、それはバイク用の単気筒500ccをそのまま使っていた。だが、そのエンジンは普通と違ってフロントでなく、座席の後ろに積まれていた。つまりミドシップだったのである。
クーパー親子手製のこのマシンは、ミドの優位を以て並み居るフロントエンジン車を寄せつけずに草レースを総ナメする。評判を聞いたレース好きのアマチュアが売ってくれとやってくる。その声に応えてクーパーはレーシングカー屋になった。
そしてクーパーは勝ちまくって、どんどん格上のレースに進出していき、57年にはついにF1に出場。58年に初優勝すると、59年に世界チャンピオンになってしまった。この躍進を見てレース界は一気にミドシップに転じた。ロータスもフェラーリもクーパーに倣ったのだ。世に言うクーパーのミドシップ革命である。
- ●今年1月のデトロイトモーターショーでひときわ大きな注目を集めたのがこの「ジョンクーパーワークスコンセプト」。大きな進化を遂げた新型MINIハッチバックをベースに走りの能力を鍛え上げたスペシャルモデルだ。
ジョンが面白そうだとミニをチューニングし始めた60年当時、すでにクーパーは世界のだれもが知る名前であった。だからこそBMCは公式に認可してミニ・クーパーは正式ラインアップになった。少し前、フィアット500にトリブート・フェラーリという限定モデルが登場した。あれがフェラーリF1チームが本気でチューンした500だったと想像してみてほしい。往年のミニ・クーパーはそういう存在だったのである。
やがてF1に莫大なお金がかるようになると、小さな工房だったクーパーはそこから撤退していき、やがてミニの高性能版に名を残すのみになった。だがクーパーという会社はずっと健在で、BMW支配下で作られたニューMINIの全世代でもクーパーの名を冠した高性能モデルは絶えることなくラインアップされている。その最高の仕様であるJCW。それは、かつてF1において世界を取ったジョン・クーパーという男の頭文字と、そのクーパーが仕事をした証であるワークスの頭文字をつなげたものである。
復活新生版の時代になってから、JCWがもっとも走りのフォーカスがきりりと引き締まったミニだった。ニューMINIは、古い英国車のほのぼのとした味わいをもつオリジナルの基準車ではなく、アシを硬めてエンジンにも刺激性を加えたクーパー版をお手本にした様子がある。だからもっとも辛口で機動性に富んだJCWが、ニューMINIで一番の、優秀で魅力が分かりやすいモデルになるのは当然のことだったのかもしれない。
そんなJCW。この3文字には、かつて世界を制覇した小さな工房の栄光が詰まっている。ミニのことをMINIと呼ぼうとミニ・クーパーと呼ぼうと、それは構わない。だがJCWの意味は知っておいてほしい。少なくともミニを愛する者ならば。
- PROFILE
- 自動車ジャーナリスト
- 沢村慎太朗
- ●研ぎ澄まされた感性と鋭い観察力、さらに徹底的なメカニズム分析によりクルマを論理的に、そしてときに叙情的に語る自動車ジャーナリスト。