AMGという挑戦

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AMGという挑戦

大排気量のパワフルなエンジンと強化された足まわり、力強い造形で独自の世界観を創出するAMG。
メルセデス・ベンツのチューナーとして歩みはじめ、卓越した走りと贅沢さを兼ね備え、プレミアムスポーツブランドとして、
さらなる高みへの挑戦を続けている。そのはじまりは、ひとりの男の挑戦だった。

沢村慎太朗

「特別なメルセデス」を生みだした男の人生

HISTORY OF AMG

1959
ハンス・ウェルナー・アウレヒトがダイムラー・ベンツの試験部門に入社する。
1967
アウレヒトがダイムラー・ベンツから独立。エルハルト・メルヒャーと共にブルグスタルにある古く小さい工場でAMG社を創業する。
1971
ハンス・ホイヤーとクレメンス・シッケンタンツが駆る「AMG 300SEL 6.8」が、スパ・フランコルシャン24時間耐久レースに初参戦して総合2位という快挙を成し遂げる。
AMG
1976
ブルグスタルから、現在本社が置かれるアファルターバッハに移転する。
1978
ヨーロッパ・ツーリングカー選手権(ETC)で450SLCが大活躍。世界中にその名が知れ渡るようになる。
1986
Eクラス(W124)をベースにした「HAMMER(ハンマー)モデル」が、力強く迫力のあるデザインで注目を集める。
AMG
1987
フランクフルト・モーターショーで、V8エンジンを搭載したEクラス(W124)ベースのモデルと500Eを発表する。従業員数が100名に達する。
1988
ツーリングカーレースの最高峰とも言われるドイツ・ツーリングカー選手権(DTM)にメルセデス・ベンツのパートナーとして参戦。
1989
「メルセデス・ベンツ190E2.5-16エボリューション」発表。プラントを増設し、従業員数も200名に急増。DTMで7勝する大活躍。
1990
レースでのパートナーシップから発展し、メルセデス・ベンツと正式に業務提携を締結。従業員数は400名に達する。
1992
「AMGメルセデス190E2.5-16エボリューションII」が、DTMで総合優勝。
AMG
1993
メルセデス・ベンツCクラスの発表と同時にAMGデザインのエクステリアパーツがリリースされる。また、フランクフルト・モーターショーでは、メルセデスと初の共同開発車両となる「AMGメルセデス C36」を発表する。AMGの知名度は高まり、ドイツ特許庁が「AMG」を登録商標として承認。
1994
「C36」が大ヒットを記録。メルセデス・ベンツと共同開発したCクラスのレーシングマシンがDTMにデビューし、年間王座に輝く。
AMG
1995
ベルント・シュナイダーによって5度目のDTMタイトルを獲得する。
AMG
1997
「C36」の生産台数(1993-96)が5000台、「E50」の生産台数(1996-97)が3000台に達する。
1998
クラウス・ルドヴィックとリカルド・ゾンタ操る「CLK-GTR」がFIA-GT選手権で全11戦を勝ち、完全優勝を成し遂げる。
AMG
1999
メルセデスの傘下に入る。2005年には100%子会社となり、「AMG」は、メルセデスの高性能&高級グレード的な位置づけに。
2001
1999年、2000年と好調な販売/生産を見せたAMGは、この年、1万8700台の生産台数記録を達成する。
2009
SLS AMGデビュー。1950年代の伝説の名車「300 SL」をモチーフにした豪華で優雅なクーペはしかし、軽量ボディと専用にチューンされたV8エンジンによるオーバー300km/hマシンでもある。
AMG
AMG
「ワンマン・ワンエンジン」は、いまも生き続けるAMGの基本哲学。ひとりの熟練工が1基のエンジンを手組みし、最後に自らの名前を刻み込む。誇りと責任の表れだ。

 人生なんてわからないものだ。野球の世界からドロップアウトして、プロのボーリング選手になろうとしていた落合博光という男がいた。だがスピード違反で捕まってプロテストが受験できず、人の紹介で東芝府中に就職して、そこで再び野球選手に。アマ野球で頭角を現した落合はロッテに入団。二度の三冠王を獲得する天才打者となった。選手時代は個人主義を貫いて生きてきたが、現役引退後に中日の監督になると見事に選手を束ねて8年間でチームを5度の優勝に導く。今や中日を総支配人として経営面で統括する。

 自動車の世界ではハンス=ヴェルナー・アウフレヒトという男がそうだった。60年代にダイムラー・ベンツで競技用の高性能エンジンを仕立てる部門にいた彼は、会社が本格的なレースから身を引き続けているのに業を煮やして、67年に退社し、同僚の技術者エルハルト・メルヒャーとともに自分のレース工房を設立した。社名は、アウフレヒトとメルヒャー両人と本拠地グローザスバッハの頭文字を取ってAMGとした。

 AMGは、しばしの準備期間をおいて71年に満を持して、当時人気レースだったETC(欧州ツーリングカー選手権)に打って出る。クルマは当時のベンツの旗艦300SEL。ただし、その車体に基準車の倍以上の排気量がある6.3L V8を押し込んだ特設グレードである。アウフレヒトはこのスーパーベンツにさらに手を入れて、6.8Lで400馬力を発揮するように改造した。

 こうして完成したAMGチューンド300SELは、71年ETC第5戦スパ24時間に出場。強豪のアルファロメオやフォードに伍して大健闘し、総合2位でフィニッシュする。7戦ポール・リカールでも総合5位に入賞。ドライバーは無名のローカルレーサーだったから、AMGの名は一気に広く知られることになった。

AMG

 ところが翌年からETCは排気量を5Lに制限する規則を定めてしまい、手中の珠300SELは活躍の場を失ってしまう。しかし、そこで挫けている暇はなかった。ETCでの活躍を知った血気盛んなベンツオーナーたちが自分のクルマもチューニングしてくれと押し寄せてきたからだ。当時メルセデスのチューナーは珍しい存在だったのだ。モデル中で最大排気量のエンジンをさらに拡大して大馬力と大トルクを積み上げる。サスを硬めて車高を落とす。太いタイヤを履かせてオーバーフェンダーにする。こうして、ひたすら力強さを追求したAMGのチューンドベンツは、そういう存在を求める人々にとって無二の存在となり、ドイツ国内だけでなく世界中に知られていくようになる。メーカーのレース部門から独立してレース工房を開いた彼は、いつのまにかストリートの帝王になっていたのだ。

 そんな経緯は、AMGと対で語られることが多いアルピナと比べると余計に面白い。アルピナの出発点は素人のちょっとした改造だった。ブルカルト・ボーヴェンジーペンという青年が自分のBMWに大口径キャブレターをつけた。お約束の入門編チューンである。だが彼がそのBMWのキャブ改造をキット化すると、これが思いもよらずヒット商品に。勢いを得た彼はアルピナという名で会社を設立し、改造の手を広げてレース車両まで作るに至る。そしてこちらもETCにてまずまずの成績を上げる。ところが、その先がAMGと違った。BMWは社を挙げてアルピナに援助を与え、彼らがトップコンテンダーにのし上がると、セミワークス的な地位を与えたのだ。

 そこで話が終われば、ただの表通りと裏通りの対照的な物語である。だが、ストリートのチューナーとして70年代から80年代を過ごしてきたAMGにも表舞台に登る日がやってきた。88年にベンツが大人気のDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)へ190E2.3-16で参戦する際にレース活動組織としてAMGを指名したのだ。と同時にベンツはAMGと市販モデルや販売の面でも正式にパートナー契約を交わす。こうして公認の存在となったAMGは本社開発部とジョイントして初代W202系CクラスをベースにC36というコンプリートカーを開発し、これは正規のカタログモデルとなって、販売戦力の一翼を担うことになった。

SLS AMG
スポーツモデルでもダウンサイジングを避けられない今日。SLS AMGのV8 NAエンジンは、記念碑的な存在となった。

 そして99年、ベンツは意を決してAMGを買収。以降AMGはベンツのレース部門として活動することになり、また各モデルレンジの最強グレードにはその名が冠されることになった。しかも21世紀に入って、BMWのMやアウディのRSとの争いが熾烈になってくると、ベンツはAMGに独立した開発セクションの地位を与え、たとえば現行C63AMGのV8のように、通常ラインアップのそれとは別に白紙新設計したエンジンが作られるようにもなった。

 一方、アウフレヒトはベンツに会社を渡した後、再び自分のレース工房HWAを設立して、ベンツのレーシングカーをいまも走らせている。

 メルセデスの社員がレースを志して独立し、しかしそちらでは行き詰りながらも、ストリートで成功し、その実績を認められてベンツに迎えられる。そして成功者として再びレースの世界に身を投じる。何と数奇な人生だろう。アウフレヒトはいま、自分の人生に何を思うのか。

 だが彼のいまの想いとは別にAMGの3文字は重みを増していく。90年代以降、正式な車名に組み込まれたその3文字は、いまやだれもが知っている。自動車の歴史にベンツの正史に、間違いなくAMGの名は残る。百年後もクルマ好きは、AMGとは何の略語で何を意味するのかウンチクを傾けるだろう。貴方の高性能ベンツのトラックリッドに輝く3文字には、そういう紆余曲折のストーリーが封じ込められているのだ。

PROFILE
自動車ジャーナリスト
沢村慎太朗
研ぎ澄まされた感性と鋭い観察力、さらに徹底的なメカニズム分析によりクルマを論理的に、そしてときに叙情的に語る自動車ジャーナリスト。
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