アウディのボトムレンジは、長らくA4の前身の80だった。そう、70年代に存在した50(初代ポロの兄弟)を例外とすれば、Dセグメントより小さいモデルは手がけていなかったのだ。理由はたぶん、グループを形成するVWとの棲み分け。
小型ハッチバックを主力とするVWに対して、アウディは上級のセダン系モデルに特化することで、市場での食い合いを避けていたわけだ。
だが、フェルディナント・ピエヒがグループのトップに君臨した90年代に、様相はガラリと変わる。プラットフォーム戦略の大号令とともに、各ブランドはモデルの拡充と、セールスの増大に大きく舵を切った。
その流れに乗り、アウディ初のCセグメントハッチバックであるA3が96年に誕生する。ご存じのとおり、プラットフォームなどの基本をゴルフWと共有化しつつ、高級感やスポーティさに明確にフォーカスして開発されたのがA3というクルマだ。
近年、注目度がより高まるプレミアムハッチバックの市場を開拓したのは、このA3だと言っていい。99年に5ドアモデルを追加すると、人気と販売は一段と上昇。約90万台の生涯セールスを記録したのだから、アウディの戦略はズバリ的中した。
そして03年、A3は第2世代へと発展。まず登場したのは、クーペを思わせるフォルムを持つ3ドアで、プレミアム&スポーティの方向性がより明瞭になる。ホイールベースはプラス60mmの2575mmとなり、それに合わせて全長や全幅も拡大。さらに、FSI(直噴ガソリン)や4リンク式リヤサスなどの新メカも話題を呼び、新型はマーケットリーダーにふさわしい存在感を示した。
だが、欧州市場とは違い、日本のハッチバックユーザーはより実用的な5ドアを好む傾向が強い。この時点ではまだ様子見のファンが多く、人気に火がついたのは5ドアモデルを追加してからのことだ。
待望の5ドアの注目点は2つ。まずは「スポーツバック」の新名称を名乗ったことで、アバントの流れを汲むパッケージと、A3本来のスポーティさを融合させて、個性と魅力をさらに高めることに成功した。
で、もう一点は、現行A6で導入されたシングルフレームグリルの採用。押し出し感の向上により、プレミアムコンパクトとしての位置づけが鮮明になった。ちなみに、欧州では3ドアやカブリオレも人気だが、08年モデル以降の日本仕様はスポーツバックのみの設定となっている。
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