さて、そんな訳でやってきたここ、碧南市。古くから三河地方の海運の要衝として重要な役割を担ってきた港町である。江戸の頃には岡崎城から出発する徳川家康も、この港から旅だっていったというから知名度以上に、碧南市が持つ歴史的な意義は深い。
そんな碧南市、現在冬になると三河線の終点駅となる「碧南駅」から隣町の高浜市に至る名鉄三河線沿いを走る並木通りに、南北何キロにもわたり色とりどりの電飾で飾り付け、「イルミネーションの街」としてもじわじわと知名度を上げてきている。
街中に輝くイルミネーションは、代表的な碧南市民図書館をはじめ、千福ポケット広場など、色も鮮やかな光が並木通りを市内何キロにも渡って照らし出す。さらに新川駅、碧南中央駅、碧南駅など名鉄三河線の各駅前や通りに架かるいくつもの橋、通りの商店街などにも、趣向を凝らしたイルミネーションの飾り付けがなされており、市内の随所で冬の風
物詩を感じることができるのだ。
白いエリーゼで市内を走る。走ることを目的に作られた低く滑らかなボディに赤、青、オレンジで電飾された街の風景が幾重にも重なり、流線型のそのボディは湾曲した光を反射する。こちらが目論んだ以上に街と良くマッチしてくれたエリーゼを、碧南の人々も珍しげに眺めている。
普段から穏やかな時間が流れるこの街に、少し奇抜なスタイルを持った純粋なスポーツカーが映えるとは、恐らくあまり想像していなかったに違いない。
できれば女性と訪れたいイルミネーションの風景に、助手席を意識せず造られたスパルタンなピュアスポーツカー。我ながら特異な選択をしたものだが、どんなシュチュエーションにおいても、純粋なものほどその純粋さが際だって良い味を出してくれるということが解った。「溶け込んで馴染む」のではなく、「主張し、引き出しあう」といった趣であろうか。
ヒンドゥ教では純粋さの象徴として「蓮」が語られる。走るために生まれたエリーゼは、走らせていて浮き世の悲しみ、苦しみを忘れ、愉しい夢を結んでくれるクルマであるだけでなく、その純粋な設計理念ゆえ、イルミネーションの中においても己の主張を消すとこなく調和できる希有な存在なのであった。
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