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幕末に思いを馳せる水戸の史跡巡り |
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ふと自由な時間ができた1日、家でただ何気なく過ごして夜になって後悔したくない
そして、過ごすなら充実した時間……たまにはドライブに出かけるか! でも、どこへ?
なんだか、どこに行くか考えるのも長い時間運転するのも面倒くさいなあ……
そんな疲れ気味の現代人に贈る処方箋、それがこのGoo・WORLD・KANTO!
関東にあるドライブスポットを毎回ゆったりめの視点で紹介して行きます |
文●鈴木祥浩 写真●深堀えみ |
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GUEST NAVIGATOR
南 香織さん
レースクイーン、雑誌およびグラビアのモデルとして活躍する南 香織(みなみかおり)さん。ふだんは、あまり来ることがないと言う史跡や庭園めぐりを楽しんでいた。「梅の季節になったら、また来ます!」と、広大な偕楽園を疲れも見せずに散策していた。 |
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ROUTE
都心をスタートした一行は常磐自動車道の「水戸」を目指した。2時間半ほどで水戸市内に到着すると、弘道館をはじめ徳川幕府ゆかりの数多くの史跡に出会う。「なんだか日本近代史のお勉強をしているみたいですね」とスタッフのひとりが口にするまでもなく、アカデミックな雰囲気につつまれるドライブとなった。 |
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幕末の殿様が造った壮大な「夢の箱庭」 |
先日、納豆を食しながらミーティングをしていたためか、次の目的地は「水戸市」に決まった。
尾張、紀伊と共に「徳川御三家」と称せられた水戸藩。現在の茨城県水戸市には、徳川幕府にまつわる史跡も多いが、今回は幕末期につくられたスポットを巡る。
水戸市内に到着した一行はまず、三大名園として有名な「偕楽園(かいらくえん)」を訪れた。
ここは水戸藩の藩主、徳川斉昭(なりあき)が自ら構想を練って造りあげた庭園。
偕楽園の名前は、「民と偕(とも)に楽しむ」という、中国の古典「孟子(もうし)」から引用されている。その名のとおり、藩内の庶民一般に広く公開されたという。
「烈公」と呼ばれ強烈な個性と荒々しい気性で知られたこの藩主だが……いや、だからこそ、心の安らぎを渇望していたのだろう。
そう思わせるほどに偕楽園には、人の心を休ませる要素が込められている。巨木も含め数多くの梅の木は整然と配置され、見事な桜の木々がアクセントを加えている。神秘的な杉林と神々しさも漂わす竹林、水のよく澄んだ池などが、それぞれ調和を保ちながらレイアウトされている。
今回のドライブに同行してくれた南香織(みなみかおり)さんは、「いろいろなアトラクションがあるアミューズメントパークとは全然違うのに、ただまわりの景色を眺めながら歩いているだけで飽きることがありませんね……!」と、少々驚きながら語っていた。
ところで、スケールの大きな杉林や竹林、さらには100種類、3000本を数える梅の木を誇る庭園は見事のひと言なのだが、偕楽園でなによりも印象的なのは小高い丘の上に建てられた「好文亭(こうぶんてい)」だ。
3階建てのこの御殿は、建設される正確な位置から建物意匠までの詳細を、藩主の斉昭自身が決定したとされている。
好文亭に足を踏み入れた途端、スタッフは「素敵!」と口々に叫んだ。香織さんも迷路のような造りの廊下を笑顔で進んでいく。四方とも異なる景色は、2階に上るとさらに違った顔を見せる。
3階の「楽寿楼(らくじゅろう)」にたどり着くと、景色が一気に開けて庭園を広く見渡せるようになる。訪れただれもが、この建物が他ではなく何故ここに建てられたかをすぐに理解するだろう。「私、梅が咲く季節にまた来ます」と、香織さんは遠くを見渡していた。
こんなに広大な偕楽園であるが、豪快な斉昭にとっては「箱庭」のような存在であったのだろう。 |
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●高台に築かれた「好文亭(こうぶんてい)」からは、四季折々の園内の様子を楽しむことができる。 |
●梅と杉林で有名な偕楽園だが、「孟宗竹林(もうそうちくりん)」と名づけられた竹林も荘厳だ。 |
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●散策の途中、良質な清水が休むことなくこんこんと湧き出す「吐玉泉(とぎょくせん)」でひと休み。 |
●最後の将軍「慶喜(よしのぶ)」の父で、幕末のカリスマと呼ばれた徳川斉昭が園の生みの親。 |
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偕楽園(かいらくえん) |
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水戸藩主「徳川斉昭(なりあき)」が、構想を練り上げた。兼六園(金沢市)、後楽園(岡山市)と並び「日本三名園」に数えられる。市街地公園としては、ニューヨークのセントラルパークに次ぐ広さを誇る。 |
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